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このケースは少々長編です。
妻Y様は残念ながら今年他界されました。夫T様には当初より認知症状がみられますが、現在も介護サービスを利用しながら、自宅でお1人暮らしを続けておられます。通常、ご本人様や家族の方が行う介護保険の申請もサービスの利用も半ば周囲が無理に始めました。老々介護が急増する今、近い将来特別なケースといえなくなるかもしれません。
在宅から入所まで、ケアマネージャーのケア方針(ケアプラン)の元、栗原をはじめとして多くの介護サービスがS様ご夫婦の生活を支えようと援助をリレーした記録です
S様ご夫婦との出会いは1年前のこと・・・
近隣の住人より「老夫婦2人暮らしの人がいるが火の元などとても心配だ。何とかしてほしい」と市へ通報がある。さっそく市委託の包括支援センターが訪問。
S様ご夫婦にはお子様がなくしかし、遠い他県に妻片の甥がずっと心配して見守っていたが、夫が、甥夫婦に頼る事が出来ず、ご自分たちも元気だったため甥夫婦が援助を申し出ても「大丈夫、自分たちで出来る」と拒否していた。それくらいなので包括支援の職員へも夫T様が怖い表情で睨み「自分たちに援助は入らない。帰れ」と中に入れてくださらない。
それでも包括支援の職員が熱心に訪問を重ねなんとか介護保険の申請にこぎつける。同時に甥御さんご夫婦との面談が出来、今後については相談が出来るようになる。介護認定を受け、居宅介護支援事業センター栗原ホームに要請が入る。その日のうちにケアマネージャーがお宅を訪問する。
「Sさん」
「・・・はーい」
「Sさーん?」
「・・・はーい」
「Sさん、入ります。失礼します」
寝室に入ると、妻Y様は歩けないでベッドからやっとの思いで立ち上がるが動けないでいた。寒い1月のことである。顔色が悪く、髪の毛はいつ櫛をいれたのだろうか、団子になっている。爪は伸び、ご夫婦ともまっくろであった。布団と衣類は排せつ物で汚れていた。入浴はしているのだろうか。
台所をのぞかせていただくと、シンクの中には1か月前の日付の豆腐が3丁、ボールの中でうっすら白いカビに覆われていた・・・。
さっそく毎日の訪問介護(ヘルパー)サービスが入る。夫T様はまだ介護サービスが入ることに抵抗感がある。伺うとご夫婦の会話、というより夫T様のどなり声が聞こえる。
夫T様
「まだ寝てるのか。早く起きて来なさい!」
妻Y様
「・・・」
早く起きてリビングに行きたいという気持ちはあり、ご自分で更衣しかけた状態でベッドからずり落ちていた。
別のある時は、訪問するといきなり奥から、夫T様の「助けてくれ~」というSOS。見ると妻Y様が、廊下までご自分で這って行き、夫T様がその妻を腰かけに座らせようとして抱えきれずにもがいていた。訪問時の仕事のスタートは妻Y様が家のどこにいるかの確認からになった。
お二人には認知症の症状が見られた。それでもそうやって一生懸命2人で生活しておられたのだ。健康保持と衛生面の立て直しが必要だ。
しかし、依然としてヘルパーに対する夫T様の言葉は「自分でするからやらなくていい!」(ヘルパー震え上がる)というもの。特にご自分の日中の居場所であるリビングの掃除に対する拒否は強く、なかなか手を出させていただけない。ゆっくり少しずつ信頼関係を築くよう、会話を重ねる。
一方、妻Y様。衣類の交換と、トイレ介助でどうしても訪問介護が必要だった。前述のとおり入浴が長期間できていなかったため、入浴サービスのあるデイサービスを勧めてみる。
夫T様
「行きたいのか?」
妻Y様
「そんなところへ行ってみたい」
夫T様
「行ってみろ」
妻Y様はもともと点字書籍の編集などボランティアを熱心にしておられた。人とのお付き合いも好きで、後に知ることになるが近所の人たちとも親しくお付き合いがあった。それに比べ夫T様は大柄でいつも怖い顔をしてつっけんどん、人嫌いの印象がすこぶる強い。
初めてのデイサービスの日、妻Y様は夫T様とヘルパーに見送られ、久しぶりの外出。家の前は手すりのない石段。ヘルパー・ドライバー・介助員でやっとの思いで担ぎ出し、車いすに乗ったまま乗車できる送迎車で栗原ホーム第2ケアセンターへ。
お迎えしたときは少々緊張気味だったが、すぐに打ち解けた。入浴していただくと「あ~気持ちがいい。髪は短くしてね」と入浴で体が温まり理容で髪をきれいにカットされると、楽しいおしゃべりもできた。
ご自宅は床がフラットにできておりさっそく車いすのレンタルを始める。
清潔保持が通所介護(デイサービス)の目標。お帰り準備には、翌日ヘルパーが到着する時まで気持ちよく過ごせるようにおむつとパットをしっかり組み合わせあてた。
デイサービスに通うようになると、自宅にいる日と比較にならないほど座っている時間が多くなるため、腸が動くようになり、トイレの感覚が戻り、トイレでの排泄が可能になった。立位もとれるまでになったが、いつ骨折したのか折れた骨がそのまま固まってしまっており、痛みもあることから残念ながらそれ以上の回復はできなかった。
実は(これはここだけの話だが)その頃まだ夫T様の態度がかたくなで、ヘルパーが家の仕事をさせていただけていなかった。そのため衣類をセンターで洗濯しヘルパーに手渡していた。介護者がいない中で清潔を保つ、というやむを得ない対応ではあったが、きれいに洗いあがった洗濯ものを届けると、
夫T様
「おー、悪いね」
おや、少し心が動いたな。しかも妻Y様がデイサービスから戻る頃になると、待ちかねて「まだ、帰らないのか」と家の外で待つ姿も。大発見である。あんなに怒鳴っていたのに。
ある時、妻Y様のやけどが見つかる。歩けないため、いざってストーブの上の薬缶を取ろうとしたとのこと。ほかに床ずれの兆候も見られていた。
ケアマネ
「奥さんを病院へ連れて行きましょう」
夫T様
「そんなに悪いのか?」
ケアマネ
「悪くならないうちに先生に診てもらいたいんです」
夫T様も乗せて通院。(素直です)その車中、「ここは知っている、何回も来たよ」「こんなに変わったんだな」などなんとなく会話が弾む。
受診の結果、妻Y様の高血圧がわかり薬が処方される。そのため定期的な通院が必要だった。血流が悪く両下肢のチアノーゼが見られたためヘルパーが入った時に足浴で足を温めることに。
この頃は夫T様のヘルパーへの信頼関係が築かれておりヘルパーの訪問回数が増えてきた。栗原のヘルパーだけでは手が回らず他の事業所のヘルパーへも応援を求める。その様子を見ていた夫T様の口から「大変だな」「ありがとう」の言葉。ここまでゆうに1ヶ月がかかった。
清掃などの家事援助やデイサービスへ行く為の援助が始まる。相変わらず夫T様からは「そんなことやらなくていい」。ヘルパーはニコニコしながら「そうですねー」と返す。そして夫T様の笑顔がこぼれていた。
それまでどうしても触ることができなかった冷蔵庫(なぜなら夫T様が怖い顔をするから)。しかしヘルパー、意を決して夫T様の目の前で、黙って冷蔵庫を開ける。出てきたものはウインナーソーセージの山。ヘルパー決意、よし、掃除しよう。夫T様、その様子をなにも言えずに見守る。
冷蔵庫の掃除が許されると、台所に買いためて古くなってしまった食材の廃棄もすんなり受け入れられ、仕事の範囲も料理、買い物と徐々に広がっていく。
経験を重ねながら、私たちにもやっと夫T様の性格を理解できるようになっていた。言葉と顔は怖いけれど(すみません)、とても素直で思いやりがあり、「やらなくていい!」は、他人の私たちがそんな大変な仕事はやらなくていいよ、という労いの言葉であった。そして本当は私たちが入ることを本心では歓迎してくれていたことを実感する。
バンザーイ。信頼関係できた。そして何よりも甥御さんご夫婦が遠方から毎月、訪問があり福島の自宅の事、夫T様の兄弟との関係など手探りで全体が理解できるようになる。
S様ご夫婦は福島の出身でありいずれ「福島に帰るつもりで家を建てたんだ」とのこと。福島の家はバリアフリーの素敵な家だった。その家が3月11日の震災でどうなっているか知りたくて夫T様が、妻Y様の甥が、福島へ連れて行くことになる。
福島では自宅を見てきたこと、数年振りで夫T様の兄弟、ご家族との歓談が出来、今後の暮らしや介護の問題への話し合いができた事、甥夫婦の、力がいかに大きく、生活場所は離れていても家族が協力しながら良い関係を持つ事の大変さ大切さ。
妻Y様は全介助の状態のため一緒に帰ることができなかった。そのためその間、初めての短期入所を経験する。平穏に3日間を過ごされる。
この頃夫T様にもデイサービスを勧めていた。ケアマネもヘルパーも、夫T様が何カ月も入浴していなかったため清潔になっていただきたかった。
ケアマネ
「奥さんに付き添ってデイサービスに行きましょう」
夫T様
「行かない」
実はS様ご夫婦の家は道路へ出るまでに数段の階段がある。狭いうえに手すりがないため介助があっても危険だ。それが外出のリスクだった。住宅改修により、手すり付けを行う。
改修の翌日、ヘルパーが夫T様の支度をしながら、デイサービス利用を促す。間もなくデイの送迎車到着。するとまんざらではない様子。玄関から出てきた無表情の夫T様に、デイの職員一瞬ひるむが、ケアマネやヘルパーから会話の糸口やコツを得ていたため期待を込めて笑顔で声かけを続ける。
するとホームに到着するころには送迎の職員とも打ち解け、良好な関係作りに時間はかからなかった。相談員『これならいける』。早速入浴をすすめる。更衣の見守りをしていた職員が、夫T様の膝が酷く化膿していることに気付く。すぐにケアマネに連絡。夫T様の両膝には人工関節が入っている。その部分が悪化していたのだ。すぐに受診。このまま放置できない状況だった。しかし夫T様、入院・手術は絶対にしたくないとかたくなに拒んだ。
暑い7月に入った。空調のない自宅でこの夏の暑さと脱水の危険性は体力のない妻Y様の方には、厳しかった。トイレの援助が夜間では一度もないうえ、栄養状態もヘルパーの援助だけでは限界があった。悪化が懸念される。介護者が一日中介護する必要がある。もう入所の要件には十分であった。しかし・・・。妻Y様が入所したら夫T様が自宅で独りになってしまう。夫の心理状態がどうなるか。
しかし連日の猛暑、事態は急を要する。そこで、夫T様にデイサービスを第2デイから第1デイに移っていただくことにした。
今お二人が通っている栗原ホーム第2は単独(通所介護のみ)のセンターだが、妻Y様が入所する特養と同じ建物にあるデイに移っていただければ、デイ利用ごとに妻Y様に会える。夫T様にお話しする。
ケアマネ
「奥さんの床ずれがよくならないので毎日手当をするために施設へしばらく泊まります」
夫T様
「そんなに悪いのか。しょうがないね」
ケアマネ
「でもお父さんがデイサービスに来てくれたらいつでも会えるようにするね」
夫T様
「うん、そうか」
第1デイへの移動によるデメリットは見られなかった。妻Y様の短期入所(ショートステイ)を徐々に増やした。その期間中、夫T様のデイサービス利用回数も増やす。夫T様を妻Y様のお部屋へお連れしたり、妻Y様をデイルームへお連れしたりデートの機会を多くもつ。夫T様には前述の膝から浸出液があり、デイサービスでの看護師による処置も必要だった。夫T様のための訪問介護も増やす。夫T様にも自宅での足浴が毎日必要だったからだ。
その頃には夫T様と近所の方たちとの関係も良くなり、外出先で歩けなくなっている夫T様を家まで連れ帰ってくださることもあった。これでもうお1人暮らしは大丈夫かもしれない。そんな矢先の8月のある日、妻Y様の入所が決定した。
9月に入り当初心配していた夫T様の独り暮らしは、サービスの組み合わせとご近所の方々の暖かい見守りですっかり落ち着いていた。子のないS様ご夫婦にとって福島にいる妻Y様の甥が介護者(身元引受人)である。
最終的には福島に連れ帰り自分たちがみたいと、以前はなにかと気にかけていた甥の方も、ここ何年か夫T様の「自分でやるからいい」「やらなくていい」の言葉に、「そうだな。そんな人生を大切にしてあげたい」と、遠くからの見守り。
それが膝の手術や入院手続きで会う、回数が増えると、また関係がますます、良好になる。通院の付き添いの帰り、夫T様と買い物によると、夫T様が酒をさがす姿が。
ヘルパー
「おいしいのがありますか」
夫T様
「これをいつも飲んでるんだよ」
ヘルパー
「買っていきますか」
夫T様
「酒屋に頼んであるからいいよ」
といいつつも高級なお酒を購入。実は、福島から訪ねてくれる甥のためのものだった。泊まって帰るときには2人で酒を酌み交わしているのだそうだ。
夫T様
「私は焼酎。甥は日本酒だ」
生活全般に落ち着きが見られるようになる。冬。初めて一人で迎えるお正月。いつもならS様ご夫婦で豪勢なおせちを注文していたが、「そうか、帰ってこないのか」と寂しそうである。
ヘルパー
「暖かいホームにいれば風邪の心配もないから。Yさんはホームで
ご馳走が食べられるからTさんも負けずにおいしい者注文しましょうか。
ほら、1人でちょうどいい量の、このおせちにしましょう」
夫T様
「うん、そうだね、頼むよ」
年が明け、お正月もヘルパーが見守り穏やかな時間が流れた。
松の内が明ける頃、それは突然にやってきた。妻Y様の急変である。懸命な救急対応の甲斐もなく小脳出血で二日後には亡くなってしまった。福島から甥も駆け付け夫T様は妻Y様の臨終に立ち会った。
通夜葬儀はしめやかに営まれた。生前交友のあった仲間に見守られ妻Y様は旅立った。通夜ぶるまいの席にヘルパーもつかせていただいた。福島からの来客もあったが、夫T様は始終ヘルパーのところへ来てしまう。なんど来客の席の方へ戻っていただいても「ちゃんとたべてるか」「たくさん食べてよ」とこちらに気を使って下さる。
夫T様は妻Y様が亡くなったことを理解していた。葬儀参列者に挨拶し、近親者を労い、しっかりと見送った。
葬儀のあと一週間は甥がついていてくれた。異変は甥が福島に帰ってしまったあと、起こった。福島に甥からケアマネに本人の様子が変だと電話が入る。「自宅にいるのに、『帰る』と言い張って荷物をまとめている。今近所のいつも気遣ってくれる方に連絡して行ってもらったがどうしたものか」
その後、半月ほど「帰る」を繰り返した。失禁が多くなる、デイサービスを休むということが続いた。関わる人々全てが、以前の平穏な生活に戻れることを祈り根気よく対応した。
今、夫T様は落ち着いた生活を取り戻し現在も独り暮らしを続けておられる。ヘルパーが生活を援助し、デイサービスで社会との交流も保てている。ユーモアがある意外な一面も見せてくれている。
ヘルパー
「今年は風邪引かなくてよかったですね」
夫T様
「消毒してるからな」
ヘルパー
「消毒・・・?ですか」
夫T様
「これだよ」
いすの下から焼酎の一升瓶を見せて笑う。
またある時ヘルパーが「こんにちは」と台所のドアを開けると、すぐ目の前に立っていて、驚いたヘルパーが「開けてびっくり!!」というと間髪いれずに「玉手箱!」
今は歩行器を利用しながらだが歩くこともできる。しかし膝がいつ悪化するか分からない。医師からは手術しない限り生命の危険があると言われているが、ご本人は「死んでもいい」と一切受け入れない。私たちはその気持ちを尊重し援助を続ける。本人が望む生活ができていると思う。
H24年7月 ケアマネ、ヘルパー、デイサービス、ショートステイ、特養 共著